2019年9月16日月曜日

郡代役所より仰渡ニ付請書 その6





 P.3 4行目〜6行目。「飯能市立博物館所蔵浅海公介家114号文書」

(読み)
發 起押 来  何 様 猛 威ヲ振 ひ候   共
ほっきおしきたりなにざまもういをふるいそうろうとも

差 加  り候   ハ勿 論、聊    動 揺 不致
さしくわわりそうろうはもちろんいささかもどうよういたさず

村 方 丈 之カ  ヲ以  相 防、 若 手余 り候  ハヽ
むらかただけのちからをもってあいふせぎもしてあまりそうらわば


(大意)
発起して押寄せ、どのような激しい勢いであったとしても
仲間に加わることはもちろん少しも動じることなく
村のものだけの力でこれらを防ぎ、もしも手にあまるようなときには


(補足)
「發起」、「発」の旧字「發」のくずし字。「起」の「走」は流れてませんが、一行目行末「趣」ではながれてました。流れないほうが多そうです。
「何」、これ一字だけ見つめてもすぐにはわかりにくそう。
「勿」、一画目「ノ」がでかい。
「聊」(いささか)、よくでてきます。
「丈」、〜だけ(限定の意)の音の当て字でしょうか。

 読みやすい安定した手跡が続きます。


2019年9月15日日曜日

郡代役所より仰渡ニ付請書 その5




 P.3 1行目〜3行目。「飯能市立博物館所蔵浅海公介家114号文書」

(読み)
施行の書付差入候者も有之趣
せこうのかきつけさしいれそうろうものもこれあるおもむき

相聞候、悪徒之申聞を用ひ施行等
あいききそうろうあくとのもうしききをもちいせこうとう

致候儀一切不相成候、向後悪徒共
いたしそうろうぎいっさいあいならずそうろうこうごあくとども


(大意)
渡すとの書面を差出した者もいたと
聞いている。悪党どもの言うことをうけいれ施しなど行う
ことは一切してはならぬ。今後悪党どもが


(補足)
「悪」のくずし字、筆順どおりの筆の運びにくずされてますが、なかなか特徴的で「心」が小さい。
「趣」、「走」の最後の右に流れる一画がちゃんと伸びています。
「用」、一画目の「ノ」がない。
「致」、この「致」は読みづらい。


2019年9月14日土曜日

郡代役所より仰渡ニ付請書 その4




 P.2 4行目〜6行目。「飯能市立博物館所蔵浅海公介家114号文書」

(読み)
御人 数 為差出  夫々  差 押  或  者打  擲
おにんずうさしださせそれぞれさしおさえあるいはちょうちゃく

候   二付   追々穏   二相 成 候   哉二相 聞 候   右 様
そうろうにつきおいおいおだやかにあいなりそうろうやにあいききそうろうみぎさま

悪 徒共 申  威二泥 ミ無拠     米 金 等
あくとどももうすいになじみよんどころなくこめかねとう


(大意)
人を差し出させ、それぞれ差し押さえたり打ちたたいた
りして、しだいに落ち着いていったと聞いている。このような
悪いやからどもが言う脅かしに困り果て仕方なく米や金などを


(補足)
「御人数」、この字はなんだろうと悩んだら「御」でした。頻出でたくさん目にしているのにわかりませんでした。それとも異なる漢字?
「穏ニ」、くずし字辞典を引くと、そこのくずした例は読めるのですが、ここのものと似たようなくずし字はありませんでした。
「相成候哉二」、「候哉二」が難しい。
「悪統」、ここのある「統」のくずし字は辞書にはありませんでした。「徒」のくずし字に読めます。「悪徒共」(あくとども)でも意味は通じます。
「泥ミ」(なじみ)、(どろ)とはわかりましたが、(なじみ)とは読めませんでした。辞書は引いてみるものです。

 それにしても、墨の濃淡が激しいです。なので少し書いては墨汁を含ませすぐにかすれだす、を何度も行ってます。これほど達筆なのに、筆が上等なものではないのかそれと墨の品質がいまひとつなのか、くだらぬことを妄想してしまいます。あっ、もうひとつありました、硯も関係していそうです。



2019年9月13日金曜日

郡代役所より仰渡ニ付請書 その3




 P.2 1行目〜3行目。「飯能市立博物館所蔵浅海公介家114号文書」

(読み)
騒  立 既 二  
さわぎたてすでに

御城  下近 邊 迄 罷  越 及暴行     候   義
ごじょうかきんぺんまでまかりこしぼうこうにおよびそうろうぎ

不恐 上   不届  至極 二付 不取放
かみをおそれずふとどきしごくにつきとりはなさず


(大意)
騒ぎを拡大させ既に
御城下(江戸)近くまで押寄せ暴行に及んでいる。
御上を恐れぬ不届きこの上ない行いであり、そのまま見過ごすことはできず



(補足)
1行目の「既ニ」のあと改行して2行目「御城下」に続いています。平出(へいしゅつ)。
3行目「不恐」の次が一文字分空白があります。欠字(けつじ)。
ともに敬意を表すための文章作法です。

 楷書にちかい漢字がおおく読みやすいです。



2019年9月12日木曜日

郡代役所より仰渡ニ付請書 その2




 P.1 4行目〜6行目。「飯能市立博物館所蔵浅海公介家114号文書」

(読み)
猛 威ヲ振 ひ及剛、    談不伏   者 者家財
もういをふるいごうにおよび、だんふくさずものはかざい

等打 毀 し及乱妨、     又者 村 役 人 共 江
とうちこわしらんぼうにおよび、またはむらやくにんどもへ

申  聞  人 足 為差出  味方 二引 入、 手廣 二
もうしきかせにんそくさしださせみかたにひきいれ、てびろに


(大意)
猛烈な勢いで力ずくにおよび従わぬものは家財
など打毀し乱暴におよんだ。また、村役人たちへ
言い聞かせ人足を用意させ自分たち仲間へ引き入れ、騒ぎを拡大させ


(補足)
「猛威」、くずしてはいますが、ほぼ原型を保っています。
「剛」の偏がちゃんと「岡」のくずし字です。冂(けいがまえ)は冖(わかんむり)のように上部に位置してしまっています。
「財」と「乱」の偏のくずし字がほとんど同じです。漢字の読みはたいてい旁側の部品の読みになるので偏はいわば飾りみたいなものなのでしょうか。
「乱妨」、「妨」が「坊」や「放」に見えなくもない。


2019年9月11日水曜日

郡代役所より仰渡ニ付請書 その1




 表紙



 P.1 1行目〜3行目。「飯能市立博物館所蔵浅海公介家114号文書」

(読み)
秩 父郡
ちちぶぐん

北 川 村
きたがわむら


此度 山 寄 村々  之者 共 人 気騒  立 宿 村
こたびやまよりむらむらのものどもひとけさわぎたてやどむら

所 之富家を目掛 貧 民 共 へ米 金
しょのふかをめがけひんみんどもへこめかね

施行 或  は質 品 無銭 二而差 戻 し候   様
せこうあるいはしちしなむせんにてさしもどしそうろうよう


(大意)
秩父郡
北川村

このたび山間の村々の者どもが集団で騒ぎ立て宿場や村
の富裕な家を目指し、困窮民へ米やカネを
施し、あるいは質品を無銭で取り戻すよう


(補足)
 今回は上名栗村の東側村々、坂元・坂石・北川・南川村などの武州一揆の古文書です。



 この仰せ渡し書の日付は変事出来より約10日後の6月22日となっています。


「北川村」、小川村ではありません。「北」のくずし字は全く別物です。
「人気」(じんき、にんき、ひとけ)と読みがいろいろあって、どれなのでしょう。
「富」のくずし字がわかりずらい。くずし字辞典にのってません。
「富家」(ふうか、ふか、ふけ)、読みがこれまたいろいろ。
「貧」、「分」+「貝」。ちゃんと「分」のくずし字「彡」+「、」になってます。
「施行」、「行」は簡単なようで難しい。


 墨の濃淡がはっきりしていて、どこで墨汁をつけているかがよくわかります。




2019年9月1日日曜日

乍恐以書付御訴奉申上候 中村家文書No380 その4




 16行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵中村家文書」

(読み)
入 間郡 小谷田村 字 午 澤 酒 造  渡世 勘兵衛 野澤送
いるまぐんこやたむらあざうまさわさけずくりとせいかんべいのざわおくり

勘左衛門  右 両  家江酒 食  焚 出シ申  付 夫 ゟ 同 郡 扇
かんざえもんみぎりょうけへしゅしょくたきだしもうしつけそれよりどうぐんおおぎ

町 谷宿  江参 リ家 数 凡  五軒 程 打 毀  猶 所  沢 宿  へ
まちやしゅくへまいりいえすうおよそごけんほどうちこわしなおところざわしゅくへ

押 寄セ候   趣   ニ御座候   追々  村々  人 足 催 足 致シ半数
おしよせそうろうおもむきにござそうろうおいおいむらむらにんそくさいそくいたしはんすう

ニテ(宵) 明り 字 午 澤 河 原ニ而勢 揃 ひ致 し候   節
にて(よい)あかりあざうまさわかわらにてせいぞろいいたしそうろうせつ

十三日    七 ツ時 頃 ゟ 追々  山 方 村々  人 数 相 集三千
じゅうさんにちななつどきころよりおいおいやまかたむらむらにんずうあいあつまりさんぜん

弐百  八 拾  人 与申  事 ニ而
にひゃくはちじゅうにんともうすことにて


(大意)
入間郡小谷田村字午澤で酒造を生業にしている勘兵衛と
勘左衛門の両家へ酒食を要求しました。それから同郡の
扇町屋宿へ押しかけ家5軒程を打毀し引き続き所沢宿へ
押寄せたようでございます。次々と村々で人数を要求し半数が
暮れ方午澤河原に勢揃いしましたときには
13日7ツ時(4時)頃で、それより次々と山里、近隣村中より人が集まり
その数3280人とのことでした。


(補足)
「字午澤」、この後の行にも「字午澤河原」とあるので地名でしょうが、ちょっと調べたところでは現在では見当たりませんでした。

「野澤送」、このように読めますが意味がサッパリです。
「勘左衛門」、前行末尾の「勘」と似ています。でも間違っていそう。名前は難しい。
「(宵)明り」、(宵)のところはわかりません。
「十三日」、よく読めないのですが次が「七ツ時頃ゟ」と読めますので、日付なのではと。
「三千弐百八拾人」、眉唾ものです。拾の位まで記してあるところが一層怪しい。「凡三千人程」とあれば、まぁ信じたくもあります。

 書状控えはここで終わっています。
この後の逆さまのところは「打毀壱件」と書いてあるのでしょうか。後世の人が書状の内容をメモ書きしたものでしょう。

 徒党の者共が家を数軒打毀しながら途中、押し入った家で飯を食わせろ酒を出せと強要したとの内容でした。
「夫ゟ」が多用され、次々と徒党の者共が相当の速さで移動していった様子がわかります。

 手跡は細筆で書き慣れた感じで流れるような趣です。